【テレビ】青天を衝け:頭に包帯の草なぎ剛“慶喜”「完全にコント」「ジワる」 猪飼勝三郎のやらかしエピソード登場 [朝一から閉店までφ★]

広告

1 :朝一から閉店までφ ★:2021/05/23(日) 21:20:00.89 ID:CAP_USER9.net
2021年05月23日

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第15回「篤太夫、薩摩潜入」が5月23日に放送され、遠山俊也さん演じる一橋家家臣・猪飼勝三郎が若かりし小姓時代に「やらかした」エピソードが描かれた。
 猪飼勝三郎が、慶喜(草なぎ剛さん)にほれ込んだという二つのエピソードで、火の見やぐらを登っていた際、慶喜の顔に足を当てて鼻血を出させてしまった話と、髪上げをしていた際、誤ってカミソリで慶喜の頭を切ってしまった話が披露された。

 頭に包帯を巻きながらも「自分の脇見が原因」「痛くもなんともない」と猪飼勝三郎の失態を戒めることなく寛容に受け入れる慶喜も登場し、SNSでは「猪飼さま、やらかしてるなー」「猪狩さんそそっかしすぎるだろ」「慶喜さま、寛大過ぎるww」といった声が上がったほか、「おいおい大けがじゃねえか」「痛くもなんともないと言いながら結構なケガで草」「何このドジ部下コントwww(史実)」「慶喜の包帯、コントそのものじゃん」「完全にコント」「あの包帯はやっぱりジワる」と歴史ファンを喜ばせていた。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

https://mantan-web.jp/article/20210523dog00m200014000c.html

58 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 23:10:06.24 ID:kFgO6TZU0.net

>>20
リモコンないの?

81 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 01:57:57.46 ID:iiRCCm3O0.net

>>76
色々な吉沢亮見たくなってたところ ありがとう みてみる

79 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 01:11:25.51 ID:wuSwNfI60.net

本木主演の徳川慶喜たまにでいいから思い出してください

38 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:32:38.38 ID:I1JULLg90.net

芸達者な役者達で面白かったのにわざわざ吉本タレントを出してぶち壊しにしなくても

116 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 14:01:13.81 ID:fwyApEdB0.net

>>44
主役がワープ
庶民の謎オマンコがいちいちいっちょかみ
これらに比べりゃ相撲ごとき最弱レベル

66 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 23:35:18.34 ID:sYcGdk0F0.net

徳川家康が出て来てカタカナ語交えて喋るのがやっぱり邪魔だな。こういう砕けた狂言回しがオサレとか思ってる?

132 :名無しさん@恐縮です:2021/05/25(火) 00:38:59.40 ID:9R75lyiX0.net

仮面ライダーフォーゼ見返したくなった
あの時は全く知らんクソガキの印象しか無かったからな

125 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 19:19:59.97 ID:IUFsgZWE0.net

>>122
西郷どんの人より西郷隆盛のイメージに近かった
目力かな

24 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:06:35.62 ID:6eYer+1/0.net

来週平岡が死ぬのか、、、何か勿体無いけどしょうがないわな

77 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 01:08:41.87 ID:pXq9VbVt0.net

>>70
頭の傷って止血のために傷を圧迫する様に包帯巻こうと思うと
けっこう大仰なことになるのよねw

35 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:26:47.46 ID:HUCm7U5d0.net

>>17
史実ですが何か

76 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 01:05:26.55 ID:pXq9VbVt0.net

>>68
吉沢主演のネトフリで最近配信になったawake、って映画
くっそ地味だけど良かったわ

72 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 00:33:32.60 ID:TMmb+80t0.net

>>41
良かった。びっくりした

6 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 21:24:42.45 ID:67dwCZGW0.net

竹中「肛門を衝け」

121 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 16:11:43.63 ID:hn25psUv0.net

黒千代香で

美味い焼酎を呑んでみたいな

124 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 18:26:02.45 ID:lI2Qagej0.net

20 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:04:40.93 ID:W0DksL6L0.net

なんかチャンネル回してたら一瞬映ったわ
草なぎの時代劇wと思って次の瞬間チャンネル回した

22 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:05:57.32 ID:IoWx4zI20.net

ほとんど史実、あるいはそれに準じたものでおどほく

36 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:26:50.25 ID:S9PVsYjR0.net

拒否反応とかチャンネル変えるとかヤフコメで今日見た木村以外の元スマを
罵倒するオタ思い出すわw

92 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 07:21:51.15 ID:FBB8HbQN0.net

草が映った瞬間爆笑したわあんなの反則w

29 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:12:35.33 ID:vpnPaXe+0.net

>>20
チャンネル回す?
いつのテレビ?

83 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 02:20:04.04 ID:hY0pnd+30.net

せめて渋沢が
チビで不細工だけどコンプレックスで成り上がるというキャラクターだったら
面白かったんだけど

イケメンじゃ渋沢自身のリアリティが皆無になってしまう

130 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 23:01:27.17 ID:OPIh7A0m0.net

薩長をここまで悪役にするのも珍しい

3 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 21:21:49.46 ID:kOMSQnRt0.net

スクランブル化まだ?      05/23 21:20 

52 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:58:22.38 ID:lwAFd7u00.net

重くなりがちな徳川ターンで円四郎の明るさは癒しだったのに…
円四郎が語り部みたいに進んでくのかと思ってたからショック
円四郎が暗殺される史実を恥ずかしながら知らなかったもんでさ

32 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:14:44.37 ID:Ha5Uko1X0.net

>>7
血だらけになりながら、きっちり賊は討ち取ります。

118 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 14:14:08.95 ID:cs+aWXEe0.net

>>96
すげえ良かった、見た目も訛りも完璧
初登場のセリフ言い終わった後くちびるが震えてたのがまたご愛敬
二言目からは一切震えてないし

50 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:50:54.79 ID:UVjs6x/L0.net

唐突に間に挟んだクソみたいなラブコメなんなん?

28 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:11:39.77 ID:wvAPLbem0.net

無名時代の渋沢栄一が西郷隆盛と二人で鍋食うとかそんなアホなと思ったら史実なのね。渋沢結構な人たらしだったんだな。

63 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 23:16:21.05 ID:pOsJImnc0.net

>>59
あー!真田丸を忘れてた!
佐助の瞬殺告白とか黙れ小童とか諸々面白かったわw

143 :名無しさん@恐縮です:2021/05/26(水) 09:21:27.58 ID:qMgwmU080.net

そりゃ人間いつか死ぬ

15 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 21:43:11.45 ID:skpohpJb0.net

まんまと笑ってしまったぜw

78 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 01:10:03.71 ID:BSm7k1Pj0.net

猪飼勝三郎の逸話を信じてるバカが多いなw
こういうのはほとんど創作だろうに戦国武将の逸話も全部信じてそうだな

87 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 02:40:40.65 ID:ZUnjFGIy0.net

あと歌舞伎役者ってなぜか現代劇もうまいよな

2 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 21:21:08.61 ID:67dwCZGW0.net

渋沢兄弟の演技(役作り?)以外は面白いな

68 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 23:53:08.47 ID:5wkGdX1S0.net

吉沢亮がこんなに演技がうまいと思わなかった。栄一という志の高い青年の今をリアルタイムで目の当たりにしている感じ。
演技が瑞々しいというか、話の展開もおもしろいし釘付けになって観てる。

144 :名無しさん@恐縮です:2021/05/26(水) 21:30:33.89 ID:Ue5Oo0cz0.net

大正五年八月 世に処する覚悟 顧問男爵 渋沢栄一

私の昔語をするならばこんな境遇であつたのである。
二十四才の十一月八日に所謂志士となつて自分の故郷を出た。当時の志士と自称する人々は力も強く意気も旺盛に読書・撃剣もやり、その気位は大分高い連中であつた。
(中略)
私は従弟の喜作と二人で京都に行つた。京都でも亦非常な困難をした。困難と云つても別に衣食に窮したと云ふのではない、する事が何んにも無かつたからである。
 その内に一橋家の権家に平岡といふ人があつて、その人に依頼して京都に於ける時勢の変化を知ることが出来たが、間もなく自分達の同盟中の親友が三人江戸で捕縛されて了つた。

而して折悪しくその人達に書送つた私の手紙を持つてゐたので、私と喜作と共に幕府の捕吏より一橋を経て訊問される事となつた、其時に平岡と云ふ人が叮嚀に私共の経歴を推問されたから従来の計画を包まず隠さず話して了つた。
さうすると平岡は更に私共に何か悪事は働はしなかつたかと云はれたから、全くありませんと答へた。すると今度は人を殺さうと思ふたことがあるかとの質問なので、私は実は奸邪の幕吏や暴戻なる外夷を殺さうと考へたことはあると明白に答へて了つた。
そこで平岡の云ふには君等が一橋家を去ると直に幕吏に捕縛されると思ふ、就ては君等は如何に其身を処するかと云はれたが、別に方策もなかつたから平岡の訓諭に従ひ、名君を選んで之に仕へ正当の順序を経て国家に尽力することに決意し、其の結果一橋家の極く低い家来になつた。之は実に私の境遇の一転化であつた。

 さて斯うなつたからには真面目に辛抱しなければならないと思つて丁度秀吉が草履取をしてゐた時の様な心持で勤めた。その時の役目は奥口番と云つて、番人のやうなものであつたが、実際は国事係の下役を勤めたのであつた。
番所の先輩は皆な老人で、此の老人達を先輩として仰ぐのだ、就職の日、之等の老人に挨拶をしに其詰所に行つた時には、つい心得ずに上座に席を取つたので、ひどく叱言を云はれたこともあつた、其の他永い月日の間には随分意地の悪い待遇を受けたこともあつた。
幕府の制度は同役でも筆上と筆下とでは非常な相違で、会食する時などにも筆下のものは筆上の人の給仕までさせられたものである。
 幸に私は国事掛の下役になつて一年余り頻りに奔走した。其初めは先づ小使の様なものであつたが、少しは用が弁ずるところから、追々重く用ゐられるやうになつた。

 その頃折田要蔵と云ふ薩藩士が、大坂に台場を築造する必要ありと云ひ出したので、朝廷幕府共に大へんな騒ぎであつた。新聞のない時であつたけれども、若しあつたならどうしても、号外沙汰と云ふ程であつた。
その時私は平岡に選ばれて築城学の修業と云ふ名義で折田要蔵の門人となり、七十日ばかり大坂にゐたが、折田には薩摩から出たばかりの門人が沢山にゐた。
 ところが此の薩摩出の門人は言葉が解らない文筆もあまりなかつたので、私は比較的重く用ゐられ従つて折田氏とも親しくなり、次第に信用を得た。然し賞讚ばかりされてゐたのではない、その間にはいろいろの苦しいこともあつた。

 翌年、私が二十六歳の時に、一橋家には少しも兵力が無いのに京都御守衛総督の名を有してゐるのは甚だ不都合であると云ふ論があつて其の結果、軍政掛と云ふものが出来た。
歩兵の指揮の出来る人はあるけれども肝腎な兵がない。強ゐて求むれば幕府から借りて来るのであるが、当時幕府と一橋とはあまり仲が好くなかつた。そこで私が建議して歩兵組立と云ふことを計画した。
上役の人が確かに出来る成算があるかと問はれたから、私は必ず出来ると答へて大胆にも引き受けてそして慶喜公に御目見えをした。

 一橋の領分は摂津・和泉・播磨・備中の四ケ国で、凡そ八万石ばかりであつた。私は其領分から是非とも二大隊の歩兵を得たいと思つて歩兵組立御用として出張をした。
先づ備中に行つたが中々人が集らない、二日も三日も、若い人々を寄せ集めては、国家の大勢を説いたが一向に其の効果がない。私は此時に非常に苦しんだ。
いろいろと苦辛努力した結果、一橋の代官も庄屋の人々も充分に賛成して呉れるやうになつて漸く目的の人数は出来た、出来て見れば何でもないことのやうであるが、一時は真に憂苦に沈むだものである。
此の際私は幾度か自問自答したが辛うじて自暴自棄に陥らなかつた。

88 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 03:06:45.01 ID:UF70OZkA0.net

鹿児島の豚を京都まで新鮮なままもってこれねーだろ、あれは犬だろ

111 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 12:29:29.52 ID:tOPeIHor0.net

松尾多勢子 幕末駆け抜けた「おばさん力」
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFE2902P_Z21C13A0TY5000/

 幕末の伊那谷に松尾多勢子なる女性がいた。豪農の家に育ちながら、畑仕事よりも書物が好きな少女だった。こと和歌に関心を持ち、当時の農村には珍しく、師について本格的に学んでいる。

十八歳で嫁いだのちは七人の子を育て、舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)にも従順に仕え、胃弱な夫のために毎朝三十分按摩をする献身ぶり。
要領も手際もよく、賢妻として評判が立つほどだったが、元来知識欲や好奇心が強い彼女は家の中だけに収まってはいなかった。

子育てが一段落すると、夫を伴い旅するようになるのだ。松本、遠州(静岡)、さらには江戸まで。家が裕福だったこともあるだろうが、女性がこれほど旅するのは、当時としては珍しい。
老いた夫が体力的問題から家に留まるようになると、今度は平田国学を学んで攘夷思想を育み、挙げ句、嫁いだ娘の家に遊びに行くと嘘をつき、尊皇攘夷の活動に勤しむため単身京へ上ってしまうのである。
このとき五十二歳。普通なら隠居している歳である。

ここから多勢子は、地縁も薄い京でよくぞこれだけ、と感嘆せずにはいられぬ人脈を着々と築いていく。
長州や土佐の志士たちと国事を語り合い、公家の歌会にまで参加。一旦伊那に戻って勤王家をかくまう働きをしたのち、再度上京すると今度は岩倉具視と接触、その信頼を勝ち得て屋敷に住み込むことを許され、女参事のような仕事を任されたというから驚く。

岩倉はこの頃、王政復古を成し遂げていた。多勢子の働きを認めたのだろう、維新後、中央政府の要職に就いたのちも彼女を東京に招いたり、西洋菓子を送ったりと、親交を続けたという。動乱の京でつちかった人脈は、のちのちまで彼女の人生を彩ったのだ。

しかし、特別な地位にあったわけでもない普通の「おばさん」がなぜここまで活躍できたのか。それは、彼女の教養もさることながら、体裁を繕わない正直さが、海千山千の中で信頼を勝ち得たからではないか。
こんなことをしたら恥ずかしい、格好悪いと物怖じする場面で、彼女は堂々と自分を貫いたのだ。

[日本経済新聞朝刊女性面2013年11月2日付]

37 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:29:06.82 ID:vl+955bO0.net

>>17
んな筈あるかい!がだいたい史実 青天あるあるw

82 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 02:18:13.36 ID:IKaQnAeJ0.net

イメージしてた包帯の巻き方とちょっと違った

138 :名無しさん@恐縮です:2021/05/25(火) 07:50:32.24 ID:qS9Gbz3H0.net

>>5
西郷さんに会ったことあるのか…

128 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 22:00:13.29 ID:UF70OZkA0.net

>>126
西郷どんの西郷はもっとたいがいやったけどなw

136 :名無しさん@恐縮です:2021/05/25(火) 07:21:30.38 ID:FmcPjwHX0.net

>>50
平九郎は短く劇的な人生だから恋愛要素も描いておくとあとあと盛り上がる
しかしドラマ内でも平九郎は超絶イケメンって設定で行くんだな
ほんとひとつひとつのエピソードに史実をきっちり盛り込んで来るね

140 :名無しさん@恐縮です:2021/05/25(火) 21:56:04.91 ID:psS/fpYZ0.net

>>139
ああー、見たい見たい‼

109 :名無しさん@恐縮です:2021/05/24(月) 11:56:06.85 ID:tOPeIHor0.net

【幕末の女志士】松尾多勢子

■信州生まれ、52歳で単身入洛

 信濃国伊那郡山本村(現・長野県飯田市)に生まれ(1811年)育った松尾多勢子は、幕末激動の京都で、尊皇派女性志士として活躍しました。
その人生はパワフルそのもの・・・10人の子供を産み、そのうち7人を無事に育て上げ、上洛したのが52才の時で、日清戦争(1894年)の年に83歳で亡くなっています。

 幕末の信濃南部一帯では、漢学・朱子学のみを許す徳川幕府に対し、「古今集」「新古今集」などを教材に日本固有の学問や信仰に眼を向けようとする平田篤胤の国学が広く伝えられました。
百姓ながらも、小さい頃から本に親しんでいた多勢子も村の歌会(平田派の集会)に足繁く通い、和歌や国学を学ぶなかで、日本の古来からの統治者が幕府ではなく、帝(みかど)であることを学んでいきました。

世はまさに動乱の時代。何としても、国難のこの時代、京都をこの目で見てみたい――。彼女の情熱は止まりません。
そして夫の許しを得て、文久2年(1862年)、動乱の京都に向かいます。多勢子、52才の時のことでした。ここで多勢子は人脈作りに励みます。
久坂玄瑞や品川弥二郎、あるいは岩倉具視などとも親交を持つのです。また坂本龍馬とも手紙のやりとりがあったようです。

■女一人で動乱を渡り歩く

京では、平田学の信奉者である染物屋の池村九兵衛を頼り、和歌を介して勤皇派の公家と志士の連絡を取る役を務め、また幕府の機密情報の収集にもあたった。
老女であるために警戒されることも少なく、農民や商人などに変装し活動を続け、若い志士たちから慕われるようになり、「勤王の母」と呼ばれたという。

維新の要人ともいえる岩倉具視がこの時期宮中の奸臣とされ、和宮降嫁に尽力したことから佐幕派ともみられており、その真偽を探りに多勢子は密偵を引き受けた。
洛北に隠れ住む岩倉に歌詠みの田舎老女として近づき岩倉の真意を確かめ、岩倉が勤皇志士に受け入れられるきっかけをつくった。
暗殺リストから外された岩倉にとって、多勢子は命の恩人なのです。

多勢子は志士の密議にも参加し、等持院の足利三代木像梟首事件にも関わったといわれる。
この事件の幕府方の徹底検挙で、多くの仲間が死傷し捕縛される中、多勢子も覚悟を決めるが、長州藩士の井上馨が藩邸にかくまい、救われた。

31 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:13:28.42 ID:me/T8llv0.net

>>20
わかる
草なぎ見ると拒否反応起こすよな

62 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 23:15:34.84 ID:JFQuXXxU0.net

>>31
拒否反応おこすのに
なぜこのスレ開いたの

21 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:05:43.65 ID:bdIklNkm0.net

青天面白いなー
華丸もいい

40 :名無しさん@恐縮です:2021/05/23(日) 22:36:32.12 ID:/iiAre1b0.net

豚鍋、バラ肉だったな
ありゃ美味かろう

広告

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

広告

人気記事

広告

RSS